大阪屋

 

新潟に移り住み、菓子舗を構えたのが安政五年のことでした。

 

 

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新潟市古町通七番町本店に掲げる看板は、早稲田大学名誉教授 東洋美術史学者、教育者、歌人、書家として活躍した新潟市名誉市民 會津八一先生(別号・渾斎 秋艸道人)揮毫によるものです。

 

 

初代は、当時、彦根藩領であった近江の国に生まれ育ち、長じて志しを立て大阪に出て菓子修行を行いました。これが社名の由来と伝えられています。

 

その後、新潟に移り住み、菓子舗を構えたのが安政五年(一八五八年)のことでした。

 

 

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代表取締役 岡 嘉雄さん
工学部経営工学科 1975年卒業

(企業情報)
HP:https://www.niigata-osakaya.com
〒950-0105

新潟県新潟市江南区大渕1631-8
TEL:025-276-1411

【岡 嘉雄さんに伺いました】

玉川での学びについて
 

Q.玉川学園に入学された動機(学問分野への興味・なぜ玉川か)をお聞かせください。
A.学園卒業生ご父兄の紹介により、農学部農芸化学科から受験勧誘DM。当時は中学生で、高等部があるとのことで父が学園を訪ねました。①学生運動とは無縁の教育環境②小原先生の人柄と教育方針③高等部校舎見学の折、男子生徒から受けた実にスマートな気配り等の理由により玉川を受験せよということになりました。父は昭和13年名古屋高商卒ですが、『戦前は小原学長のような先生がおられた。玉川はよい学校だよ』と話しておりました。小原先生とキャンパスの情景に、自身の懐かしい学生時代を重ね合わせていたのだと思います。
Q.どのような学生でしたか? 学ばれた内容や打ちこんだことなど、思い出をお聞かせください。
A.高等部では男子塾に、学部では体育会スキー部に大変お世話になりました。
Q.学生生活の中であなたが『玉川らしさ』を感じた出来事をお聞かせください。
A.師弟同行、小原先生をはじめ先生方と心情的な距離がとても近いこと。8月盛夏、小原先生から届く直筆の年賀状は私の宝物です。また1968年2月、高等部受験で面接の順番を待っていると5名ほどの週番女子生徒が『皆様、今日は玉川を受験していただき有難うございます。少しお待たせしていますので、私たちが一番好きな校歌を歌います。』と挨拶の後、見事な合唱を披露してくれました。びっくりしましたが、最初に『玉川らしさ』を感じた出来事でした。

現在の仕事について
 

Q.現在の仕事を選ばれた動機をお聞かせください。
A.家業に就きました。
Q.玉川で学んだことは、今の職場でどのように活かされていると思いますか?
A.①理系・文系を問わず多様な分野に興味が持てること
 ②個性について考察する習慣を与えていただいたこと。
Q.卒業後、玉川だからこその利点(人脈など)を感じることはありますか?
A.小原先生に繋がる威宜園塾・松下村塾・留岡幸助・有馬四郎助・本間俊平先生等の系譜に思いを巡らせるとき玉川だからこその利点を強く感じています。

商品について
 

Q.今回出品された商品の特長やこだわっている点などをお聞かせください。
A.『万代太鼓24個入』

昭和44年発売。年輪状に焼き上げたソフトクッキーを祭太鼓に見立て、中にクリームを入れました。お土産におやつに一番人気の新潟銘菓です。夏季は『冷蔵便』でのお届けです。このソフトクッキーに合うクリーム開発にとても時間がかかりました。

 

 『葡萄紀行16個入』

香豊かな蒸留酒にじっくり漬け込んだレーズンを口どけの良いクッキーで挟みました。辛党の男性にも人気のお菓子、豊潤な風味をお楽しみいただけます。夏季は『冷蔵便』でのお届けです。クッキーの口どけと強度のバランス点模索に苦心しました。

Q.今後の目標・夢についてお聞かせください。
A.時代に合った美味しいお菓子を作りたいと思います。

同窓生にメッセージ
 

Q.玉川っ子へメッセージをお願いします。
A.『君たちは今日この丘を巣立って行く。社会に出ると迷うことや分らなくなってしまうことが必ずある。そんな時にはこの丘を、このオヤジを訪ねて欲しい。僕に何が出来るかはわからない。しかし、君と二人で聖山を歩き、共に考えることは出来るぞ。だから、必ずこのオヤジを訪ねて欲しい。』忘れられない小原先生の言葉です。